3章 潜んでいたのは 歩いていた私の目にふと、とまったのは一軒の赤い小物屋。住宅街の少し外れにぽつんと。 明るい系統の色で、まるっこさがあるお店。大きな窓ガラス。 赤い屋根に薄い茶色の端が尖っていない建物。今の季節は秋で、まだ少し暑さを感じる日があるのに。 暖かい雰囲気があるような気がした。外観が綺麗な建物は、見ていて圧倒されるんだけど。 ピシッと決めてあるから、冷たいような鋭い雰囲気も感じるけど、メルヘンの世界にありそうな家の形をしたお店。 そこが見ていてなんだか少し安心する。 そんな風景に心を奪われている私に気づいたレリが、足を止めてお店へ目を向けた。 「清海、このお店、小物屋さんかな」 「さあ? でも、かわいい物が並んでそうだよね」 私とレリは鈴実の家に向かっている途中で合流した。今日は鈴実の家で遊ぶ約束をしていたから。 お菓子を作ったりトランプしたりするんだー。 それに、皆に新しい護符を渡すって。魔物と幽霊は別物らしいから今持っている物だけじゃ不安があるらしいから。 私の場合、今は鈴実手製の護符があるから幽霊とか見えないけど……なかった頃は大変だったもんなあ。 鈴実の家までの短い道のりで、最初に目についたのは大きなショーウィンドウに飾ってある物だった。 うさぎのぬいぐるみとか、ビーズのブレスレットとか。そんな物に惹かれて私とレリはお店に入った。 五分くらいなら、良いよね? 扉は古そうな音をたてて自然と閉まった。 お店に入ると中は意外にも薄暗くて少し寒かった。光は店の扉の隙間から差しこむ太陽の光だけ。 光が少ししか入って来ないのは店全体に理科室の暗幕が張り回らされていたからだった。 入ったとき、すぐには暗闇に慣れなくてよくわからなかったけど。触ってみると、布の感触がした。 ペラリと捲ってみると捲った部分から太陽の光がさし込んで、私たちの足下を照らした。 その照らされた部分のまわりだけが暖かかった。でも、一部分だけ暖かいってイヤな感じ。 「それにしても、空気がこもってるはずなのに涼しいね」 「うん、この時期に涼しいのは変だね。今日は晴れなのに」 今はまだ九月。寒気がするって事は冷房の効きすぎなのかな、このお店。 それにどうして暗幕をつけているんだろう? お昼なのにこんなにも暗くしているのはどうして? みてくれからは暖かい雰囲気だったのに、肌寒い。入ったときはそうでもなかったけど、寒さに背筋がゾクゾクする。 腕をさすりながら暗い店内をよく見回してみても、誰も見あたらなかった。 まだ開店してないってわけじゃないよね? クローズって看板はなかったし。 「外から見てたときと違って中は暗いね。人もいないよ」 「うん。……でも外から見た時はそんな風じゃなかったよね?」 暗そうな雰囲気には思えなかったのに。外から見ていた時との違いに私とレリは首を傾げた。 「外に出よっか」 レリの言葉に私は頷いた。変な感じ。こんなにもギャップがあるなんて。 「そだね。遅れたら鈴実に心配させちゃうし」 「えー、鈴実はまず怒るでしょー」 レリはそう言いながら扉のドアノブを回した。あ、私の言ったこと信じてない顔だ。 鈴実は最初に心配して、それから怒るもん。いつも昔からそうだよ。 「そんなことないよ。だってね」 私の話を背中で聞いていたレリがドアノブを何度も回して外に出ようとした。 「ちょっと清海、このドア開かないよ?」 鍵音が鳴るばかりで、扉はいっこうに開こうとはしなかった。 どういうこと? 施錠した覚えはないのに。そもそも扉に鍵をかける部分も見当たらないのに。 「たてつけが悪いんじゃないの? どいて、私もやってみるから」 レリに代わってドアノブを回してみた。大きな音が立つくらいに。 でも、扉は開かない。 「何これっ……開かないっ」 ぐいぐいとドアノブが扉から外れるくらいの力で私は回しながら引っ張る。 途中で板を拳で叩いたり、ドアノブを回した状態で床の近くを蹴ったり考えつくことは二人で試した。 それでも、扉は開かない。 「清海、ねえ。あれ……何かな?」 とんとん、と何度もレリが私の肩を指でつついていた。扉を開錠させようとなかば躍起になりかけの私に。 「こんなときに、なにっ」 苛つきながらもレリの人差し指の示す場所を見た私はドアノブから手を剥がさざるを得なかった。 レリが示した暗がりの先には黒い、物体。その黒い何かのまとまりの上らへんに赤く光る何かが三つ。 私達との距離は五メートル程度。その物体の容貌はよく見えない。 何だかイヤな予感がする。そう思う原因はすぐに思い当たる。 数日前に遭遇した変な生き物。異世界からやって来る、厄災の代名詞。 「ひょっとして、魔物? でもこんな所にいるはずないよ。おかしいよ」 レリの言う言葉はすごく抽象的だけど私は頷いた。建物の中に魔物がいるはずはない。 だってゲームでも漫画でも魔物との遭遇は外でしょ。門の外とか城の外とか。 「変わった置物だよね。幽霊が憑いてそうでいかにもって感じじゃない、レリ?」 「イギリスじゃ幽霊物件って箔付きだしね。倒さないと、此処から出られなかったりしてー。 幽霊の怨念に最後殺されちゃうホラー映画とかにもよくあるよねー。まあ、実話も紛れてるけど」 私の言葉に冗談でレリはそう返した。いやいやいや、それはゲームの話だよ。 RPGで修行の塔に入った時なんかの条件……でも。ちらっと扉を背面に私とレリはさっきの物体を見つめた。 黒い物は小さく僅かに、それでも確かに動いた。赤い何かは間違いなくこっちを見据えている。 「レリ。もし、もしも万が一の話だとしてね。あれがもし魔物だったら?」 黒い物体が一つ、大きな動きをした。まるで起き上がったかのように。 獲物が射程範囲に入ってもうそれらが気圧されていることを悟ったかの、ように。 「だったら……移り変わる色は水、写すもまた水、面影を捉える汝は水なり」 レリが呪文を唱える。私にも呪文の言葉が頭をよぎった。 「移り変わりをもたらす色は風、ゆらめかすもまた風、変幻を与える汝は風なり」 でもこれって……いつもと違う? ということは、双人魔法とかいうやつ? まだ数回、片手で数えて覚えられるくらいしかやったことないから断言出来ないけど。 「水よ、戒めとなれ。水呪縛!」 「風よ、水に加護を。追呪縛!」 私たちが唱えた後には黒い物体はバシッと床を蹴り破いて距離を潰しにかかっていた。 床の惨状を確認する間もない。床板を破壊した後足がピクッと痙攣して動きを止めた……やった? 穴の出来た床から躍り出た水流が黒い物体を包みこむ。 そしてそのまま獣の動きはなく、音をたてて氷塊と化した。 目を凝らしてみると、黒いものの正体は犬だった。でも額にも目がある。 三目の生き物は、どう考えても異常。突然変異で指や足が多いことはあるけど、三目はないと思う。 「これで大丈夫かな?」 『……ペキッ』 「えっ? うそ、まさか」 安心したのも束の間のことだった。 バキバキという耳障りな音がやまない。 氷塊は内側からひび割れ、黒い獣は身震い一つすると何でもなかったかのように。 体勢を持ち直して私たちへと飛びかかってきた。距離はもうそんなにない。十秒で詰められる間合いしかない! 「嘘──っ!?」 「魔法が効いてないっ」 「また襲いかかってくるよ!」 私とレリは抱き合い、もうダメだと思って目を閉じた。噛み殺されるなんてイヤだけど、でも。 恐怖で身が竦むと動けなかった。お互いに抱きついて動かない、動けない。どうしても。 頭では固まっているだけじゃ駄目だってわかるけど、でも! 「……あ。れ?」 痛みがまだ来ない。おかしい。薄く瞼を開けてみると寸前の所で犬が止まっていた。 犬の顔面には、長方形の紙? 空中制止してる犬と、犬に貼り付いた紙。長細い紙に文字が書かれてある。 これって……! 溢れ出す暖かみ。とても、見覚えあった。 ありすぎて心臓が落ち着くよりも先に夢から覚めたように体が恐怖からひいていく。 「なにやってるのよ、二人とも」 「あんまりにも遅いから探したのよ。それで? これはどういうことなのかしらね」 レリと一緒に私が後ろに振り向くと呆れ顔の鈴実と美紀がいた。 美紀はラフな格好で、手提げ袋を持っている。お菓子作りの材料がチラリとみえる。 その姿にすっかり緊張が溶けて、胸の奥から出ていった。自然とレリに抱きついていた手が離れる。 鈴実は外出用の姿で手にはお札を構えていた。 そこで、ギリギリと膨張していた歯車が縮んで、かちっと元のサイズに戻って私の平常心が作動し始めた。 それと同時に思考回路も運動を開始した。 鈴実は降霊や除霊も出来る、すごい中学生。さっきのは鈴実が動きを封じてくれたみたい。 その考えにまもなく辿り着いて、私とレリはへたりと倒れこんだ。 もう安心できるんだよね、ほんとに。鈴実と美紀がいるなら、何も心配はいらないよね。 「鈴実! 助かったぁー」 ガバチョと鈴実に飛びつきかけて、ばつが悪そうな表情を浮かべたレリは伸ばした腕を降ろした。 「あたし悪くないからね! 清海止めなかったけどでも清海も悪くないからね!」 「はいはい……今回は条件を破ってないものね。別に怒らないわよ」 ぽんぽんとレリの肩を軽く叩く鈴実。後ろめたさが消えたレリはやり直しにがばっと抱きついた。 うー、と唸るレリの背中をゆっくりと撫でて鈴実はもう心配ないわよ、と小さく笑った。 「ねぇ、どうしてこれがお札で動かなくなったの。もしかして幽霊?」 レリは助かったことに対して素直に納得したけど……。それに対して、私は疑問が浮かんだ。 少し前まで私たちに襲いかかろうとしていた三つ目の犬。 その犬は今も空中に浮いたまま、ぴたりと動かずに留まっていた。 でも、幽霊だったら今の私とレリには見えないはず。第一、水なんてすり抜けるんじゃないの? 「ホントに危なかったわね」 犬、そして私とレリを見比べて美紀はそう言った。美紀の言葉のとおり。 私たちと犬の距離は数センチしかなかった。助けがあと一秒でも遅かったら、今頃はどうなっていたことか。 「あのね、魔法が効かなかったの」 「あの氷の中に閉じ込めたんだけどすぐ出てきたんだよ」 私とレリの言葉を聞いて、鈴実はなんだか納得していた。特に驚いた様子もなく。 「幽霊が動物に取り憑いたんでしょ。たまにあるのよ」 「そうなの?」 「最近は滅多に見なかったけどね。ああ、ほらだから心配しない!」 あたしがここにいるでしょう? 霊媒師をそんなに甘く見ないでちょうだいよ。 そう口にして鈴実はさっきとは違う紙を出した。円形の紙には達筆な字が書かれてある。 上手すぎて漢字なのに読めない。……ま、まあだいたいお札ってそういうものだよねっ! 少し私の国語の点数が心配かも。そんな他愛ない心配が出来るくらい、私は鈴実の能力を信頼してる。 『ぺタッ』 「出ていきなさい」 鈴実が丸い紙を三つ目の奴に貼りつける。すると紙の上に何か青白い光が浮かんだ。 幽霊が抜けてく証拠かな? でも今の状態の私にも見えるってことは、かなり力のある霊体ってことなんだよね。 でもじゃあ、なんでそんな霊体がここに? そんなに強い力があれば鈴実や鈴実の家族がすぐにでも気づくはずなのに。 私が周りの風景から切り離して考え込もうとした時、青白い光が、ふっと消えた。 そして光がなくなった後にいたのは黒い大型犬。ラブラトールとかゴールデンレトリバーみたいな犬種の。 『くぅん?』 小さく鳴いて黒い犬は一時期CMに出ていたチワワばりの傾げ首。 多分、無類の犬好きになら一撃必殺。だけど、この犬はさっきまで私とレリに襲いかかってきたわけで。 気を抜いたらいけないような。少し、その光景に何ともいえない空気が流れているように思ったんだけど。 バッと四つの腕が犬の肩を捕まえた。緊張感完全に無しの二人がいた。レリと、美紀だった。 「かわいい!」 美紀とレリが犬の頭を撫で始める。でもレリ、わしゃわしゃとやってない? 犬がレリの手を嫌がっているようにみえるんだけど。 手先が器用な美紀はそれを見て犬の喜ぶところを撫でていた。 美紀の反応はともかく。さっきまでのことは幻みたいにまったくレリが普通って様子が…… まあ、そこがレリだと思えばそうなのかもしれないけど。 犬は首を傾げて鳴いた後、開かれたドアから出ていった。 「あーあ、いっちゃったわね」 美紀がすごく残念そうな表情で、同じ顔のレリを見て、ねーっと声を揃えた。 鈴実は、警戒心をすぐになくすのは考え物よ、と少しだけ二人を諫しめた。 「あれ。そういえばさ、清海。お店の内装が変わってない?」 「……へ?」 「ほら。周りがよくみえるでしょ。さっきよりずっと明るくなってるよ」 「あ、ほんとだ……照明がちゃんとついてる。これなら店の外観と釣り合うね」 私はレリに言われるまで、お店の中がさっきとまるで違うことに気づいていなかった。 でも言われて気づいた途端いろいろと目に付いてきた。 まずは木製の床と壁でしょ。その壁にはタペストリーが掛かっていて、素朴な織り方をされているのが目に優しかった。 汚れた跡や傷が見あたらない床に敷かれた絨毯の上にテーブルがセッティングされてある。 そのテーブルの上にはバスケット。その中のファンシーな雑貨に思わず手を伸ばしたくなっちゃう。 うさぎの懐中時計やビーズのアクセサリー、銀製のブレスレット。どれも欲しいなー。 ビーズ製のは五百円だけど、銀製はだいたいそれの十倍の値段がついてる。 やっぱり金属のものは値段が張ってて……中学生のお財布事情はすごく厳しいのに。 衝動買いを実行しそうな私の横で鈴実は眉間にしわを寄せて雑貨品を睨みつけていた。 「どういう事かしら……風景が変わるなんて、今までこんな事なかったわよ?」 「ショーウィンドウにも並んでいたものもあるから、元に戻ったって事?」 鈴実が首を傾げていると、私達から見て奥のカウンターから女の人がでてきた。 見たときに思ったことは美人だな、ってこと。ウェーブのかかった茶髪の人で二十代くらい、かな? 同性の私から見てもすごく顔が整ってるし背も平均より少し高い。 「いらっしゃい」 それに、なんだかほんわかした人だなぁ。言葉も機械的な感じは全然しない。美紀が声を掛けた。 「こんにちは。店長さんですか?」 「ええ、店長の比良よ。今はまだ開店前だけれど、あなたたちはお客さま第一号ね」 まだ開店してなかったんだ。その事に少し、悪かったかなと思って私は口を開いた。 「ごめんなさい、気になっちゃって入っちゃいました」 「いいえ、私も立て札を出し忘れていたから。まだ準備中なんだけどこんなので良いのかしら?」 うーん、そうと聞かれてもすぐには答えられない。だって、責任重大そうだし。 「はい、とても良い物が揃っていると思いますよ」 美紀が慣れた口調でそう答えると女の人は柔らかい笑みを浮かべながら、そうと呟いた。 うん、確かに本当に良いものがいっぱいあるよね。あれもこれも欲しいもん、私。 「貴重な意見をありがとう」 「じゃ、行くわよ。いいわね、清海?」 鈴実に腕を引っ張られて急に私は現実的な考えに戻された。 でも言われなかったらずっとお店の商品を見ていた気がする。 「バイバイ。小物屋エンタルア、ごひいきにね」 お店からでる時、笑顔で比良さんは片手を振ってくれた。開店したらこのお店は行きつけになりそうだなあ、私。 また今度、レリを誘って一緒にこようかな。このお店に。 絶対にあの銀のブレスレットが欲しい。 でも今月のお小遣いだけじゃ足りないのが泣きどころ。 お小遣いは三千円しかないから来月のお小遣いを待たないと買うに買えないよ。 あうーっ。せめて手元にあと四五〇円。一五〇円×三、ペットボトル買わなかったら今日買えていたかも? 三日前と一週間前と数時間前の私の行動に後悔中だよものすごく! お小遣いが溜まるまで残されているといいな。どれくらい仕入れてあるかな。 あー、それくらいのことは聞いておけば良かった。 ブレスレットを買えなかったことを後悔しときながらも、鈴実の家で護符をもらった時はそれに勝る勢いで喜んだ。 幽霊関係のトラブルにはもう金輪際関わりたくないです、はい。鈴実にも今日のことを言い含められました。 |